ロマンス劇場~ファミリーヒストリー
こんにちは😊
いつも見て下さり
ありがとうございます💓
風鈴草(カンパニュラ)
今週は
どんより天気が続きました☁️
涼しい1週間でした//((´д`)) ブル
体調崩さぬよう注意です❣️
٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。
さて
先週の土曜日テレビで
綾瀬はるか、坂口健太郎主演
「今夜ロマンス劇場で」
という映画が放送されました
(画像お借りしました🙇♀️)
録画したのを昨日見ました👀
もう、
めっちゃ良かった~💓
ラストは感動して涙、涙。゚
∵・(ノД`)∵゚。 うわああん
では
簡単なあらすじを🎬⸜(*˙꒳˙*)⸝🍿
モノクロ映画(戦前)のヒロインと現実世界(1960年)に生きる青年の話。出会うはずのなかった2人が出会う。
映画監督を夢見る青年・健司(坂口健太郎)は、ある日、通い慣れた映画館のロマンス劇場で1人の女性と出会う。彼女は健司がずっと憧れていた映画のなかのお姫様・美雪(綾瀬はるか)だった。モノクロの映画の世界からカラフルな現実の世界に飛び出した美雪は、色のついた世界を体験していく。そして次第に惹かれあう2人。しかし、彼女にはある秘密があった。彼女は、映画から抜け出す代償に人と触れ合うと消えてしまうという。映画の中に戻ろうと決意し健司に抱きしめて欲しいと伝えるが健司は拒否。たとえ触れ合えなくても、ずっと一緒にいる人生を選ぶ。月日は流れ健司は老い命の火も消えようとしていた
美雪の手が健司に触れて…
ラストは如何に!
大体想像はつきますよね…💓💞
久しぶりに
映画らしい映画を見たな
という気がしました(*•̀ᴗ•́*)👍
この映画
"翔んで埼玉"の監督だとか
ステキなロマンス映画も
とるんですね(*•̀ᴗ•́*)👍
綾瀬はるかちゃん綺麗😍
はるかちゃんの着ていた服もステキ👗
健太郎くんもカッコええ!
涙活したい方は是非!!
オススメの映画です(*•̀ᴗ•́*)👍
実は不思議なことを感じまして(・・?)
ここからは
スピリチュアルな要素も
含まれていますので
興味のない方は
スルーして下さい(*ᴗˬᴗ)⁾⁾ペコ
この映画の中で
綾瀬はるかちゃんが
坂口健太郎くんに言ったセリフに
「私を見つけてくれてありがとう」
という言葉がありました
つい2、3日前
父と話をしていたら
父にもう1人姉(長女)が
いたと知りました
その方は
父が13歳の頃に亡くなりました
ちょっと
このお姉さんの事を
書かせて下さい_✍
父(88歳)は末っ子で
姉兄は
現在92歳の姉
生きていれば90歳の兄
がいます
毎年、家族で
盆暮れには田舎に行ってたので
この2人とは交流がありました
父の実家は栃木県の農家でした
父が3歳の頃、
病気で父親を亡くし
それから母親は
朝から晩まで
働き通しだったようです
主に
その亡くなったお姉さん
M子さんが家事等やっていたのでしょう
戦争が始まりやがて
M子さんは
軍事工場へ行き
そこで将来の伴侶と出会い
彼の実家がある新潟県で
生活する事になったそうです
彼の実家は
商いをしていたそうで
字の上手なM子さんは
重宝されたそうです
綺麗好きな性格で
父と住んでいた頃も
腰に雑巾を下げ
糠で床や壁を拭くなど家中
ピカピカだったそうです✨
働き者だったのですね
新潟での生活がはじまって
まもなく
戦争が激しさを増し
彼に召集令状が…
彼は出兵し悲しいことに
戦死してしまいました😭
それからすぐに終戦に…
その1年後
M子さんは、
当時流行の結核にかかり
実家に戻り療養することに
新潟から彼のお父親が
終戦後で電車に乗るのも困難な中
体によいとされる活きのいい鯉
を持って2度も来てくれたそうです
M子さん、大事にされて
いたのですね
でも
その甲斐も無くM子さんは
亡くなってしまいました…
悲しい結末です…
まだ20代
彼との幸せな未来を
描いていたでしょうに
子供だって産みたかったでしょう
まだ若かったので
命があれば再婚の道も
あったでしょうに
どんなに無念だったかと…
😭😭😭
あの世で
彼と会えたとは思いますが
悲しすぎる…😭
生きていれば
私も交流出来たでしょう
何故
ブログに記そうと思ったのか
以前テレビ番組で
ある方が
人は亡くなってからも
自分の存在を忘れられる事が
1番悲しいと言っていました
M子さんが亡くなって
もう70年が経過しており
そういう執着は
薄れているかもしれません
でも
思い出してあげる事は
故人にとっては
とても嬉しいと思います
私が逆の立場なら
やはり
嬉しいと思います
今月
先祖の供養をしました
母の水子もいて
今月が命日です
産まれていたら
私の2人目の兄か姉だったでしょう
でも
「この子を産んでいたら
お前は産まれなかったかもしれない」
と以前母に言われたことがありました
経済的な理由から
子供は2人と決めていたからです
そんな供養した月に
M子さんの存在を私が
知ることになったのは不思議です
故人は
わかってくれる人に
メッセージを送るといいます
人間でも
わかってくれる人に話ますよね
霊も同じようです
最近母は忘れっぽくなり
自分の水子のことも忘れてます
「今月、○○ちゃんの命日だよ」
「あ、そうか」
こんな感じです(笑)
これからは
私が母の代わりに
先祖の事をやっていかないと
と思います
生きられなかった人のぶんも
一生懸命生きなければ
いけないと思います
昨日、映画を見て
「私を見つけてくれてありがとう」
の言葉を聞いた時
M子さんが私に伝えてくれたように
感じました
心にスーッと入ってきました
こじつけのように
感じられると思いますが
私にはそう感じたのです
:;(∩ ˘ω˘ ∩);:
M子さんが亡くなって
何十年も経ちました
文明が進歩し
SNSの発達で沢山の方の
人生に触れることが
出来るようになりました
短い人生を歩んだM子さん
こういう人もいたんだと
記しておきたいと
ブログに書いた次第です
M子さん、
少しはうかばれたかな?(笑)
こうして
毎日つつがなく
幸せに暮らせるのも
ご先祖様のお陰だと
感じます
ご先祖様に心を合わせ
感謝の心を忘れてはいけないと
思わせてくれた出来事でした💓
長文、
最後まで
読んで頂きありがとうございました
(*ᴗˬᴗ)⁾⁾ペコ
今日もステキな1日をお過ごし下さい💓
🌷🌸🌺🌻
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